雑念いっぱい
世間の目を気にしていた
自分自身、「良妻賢母を目指したい」そう言いつつも、周りの目を気にしていた。
気軽にランチも行きたいし、美容院にも通いたい。服も、結婚する前のばかりで、新しいものはマタニティー用しかない(笑)
家事もしっかりこなしつつも、仕事でも世の中の役に立ちたい。本が好きなので、読みたいと思ったものは気兼ねなく買いたい。
友達が結婚、出産したならお祝いを包んであげたいし(してもらっているので)、誕生日ならプレゼントも選びたい。
主婦をしつつも、生活も満たされてるよ!
みたいな。そんな願望が結構つよかった?
いや、今も強いかもしれません。
結婚して、苦労しているというよりは、幸せそうに見せたいものです。
自分自身が惨めに見えていた
結婚して、子供もできて仕事もやめたので、自分のお金はほぼありません。
幸いなことに、主人から「お小遣い」として、一定額いただけることになり、それで自分のことをやりくりしています。
ただ、周りの友人を見て、自分で働いて自分の自由になるお金があって、子供にも要望に応えてあげれていたり、旦那さんにプレゼント買っていたりする姿をみていると、単純に
いいなぁ
と、思ってしまっていました。
手持ちのお金が少ないということは、それほど自由が制限されるということ、自分の思いが実現できる範囲が狭いと言うこと。
周りからも、
「ランチを誘っても断ってばかりいたら、誘われなくなり人間関係もせまくなっていくよ」という声があったり、とても焦っていました。
世間から見たら、惨めな主婦なのかも…?
と、思っていたけど、
気付きました。
周りではなく
自分で自分を惨めだと思っていました。
気付き始めたこと
子供が生まれ、家庭環境も一気に変わり、まず子供は超可愛いし、超愛おしい(笑)
主人も子供を見て幸せそうで、それを見て私も超幸せな気持ちになる( ´艸`)
子供の将来を考えると、全てをなげうってでも、尽くしたい。
そんな気持ちがふつふつと湧いてきました。
それでもそんなことを感じている片隅で、どんな仕事について、自分を生かしながら世の中の役に立てるかな?
と考えている部分がありました。
自分中心の自己実現から離れてみる?
唐突に
「私の生き方ってなんだろ」
という言葉が頭をよぎりました。
私はかなり不器用で、容量がよくない。あれもこれもしたいけど、一本に絞らないと、大抵破綻してゆく。
それならば、一番すべき事ってなんなのか。ぱっと、出て来たのが
「子供を生み、立派に育てる。世の中のお役にたつ仕事をしている主人を懸命に支えて、家庭を光の発信基地にする」
でした。
今までも考えていたことです。
でも、今まではこれにプラス
「仕事もして自分も稼ぐ」
が、ついてきていました。
やっぱり、仕事の事を考えると、そちらに一生懸命になり
家庭>仕事
ではなく
家庭<仕事
に頭が傾きがちでした。
「家庭をメインにしたい」
と思いつつも、ついつい私の場合そうなってしまいます。
能力がないので、そうなってしまうと思うのですが、ちゃんと考えれる日も来るかもしれません。
シンプルイズベスト!
私の本業は何だ!?
妻として、母として家庭を守ることだ!
そう思った瞬間、すごくすっきりしました。
「この世に生まれたからには、人々の役に立ちたい」
そういう思いは強いのですが、外に働きに出て、お金をもらえる仕事をすることだけが、人々の役に立つ事になるとは限らない。
子供を育て、主人を支える。
最大限に、私が役に立てることなのではないか…
そう思いました。
妻がしっかりしているから、夫が外で本領を発揮できる。
私が心配を煽ったり、足を引っ張ったり、過度に家のことを手伝わせて、夫が本来やるべき事が出来ない、考える時間がないなんて、本末転倒。
無我で家庭と向き合う
主婦であっても、仕事をしたい、世の中に認められたい、収入を得たい、自由になりたい。
そんながんじがらめの「自我」から
自分の自己実現は置いておいて、
「無我」の自分で家庭と向き合うとき
自分にどんな変化があるのか
家族にどんな変化があるのか
無我で家庭と向き合うことに、チャレンジしてみたいと思います。
「世の中をよくしていきたいのなら、まず家庭から」
主人がいつも言っている言葉です。
大切なことすっ飛ばさず、向き合うべきものと向き合う。そんな修行、
新たな取り組み課題が見つかったんだ
と、少し嬉しくなりました。
家庭を取ることが難しくなってきている?
女性は「家庭」をとるのか「仕事」をとるのか
現代女性は「踏み絵」をする時が来る。
と、いいます。
私の周りでも、躊躇なく家庭を取っている方もいれば、そうでない方もいます。
今考えると躊躇なく家庭を取っている女性がまぶしく見えます。
両立できている方を見れば、すごいとも思えます。
「今の世の中共働きが当たり前」
「女性も経済力がある」
そんな世の中、自我を捨てて無我になって、本当に大切なものを選び取っていく修行が、あるのではないかと思いました。
昔であれば、男女の役割は明らかであったけれども、今はわかりにくくなってきている。
私も、自分が悩んだことは無意味なことではないと信じて、目の前の課題に取り組んでみようと思います。
「良妻賢母を目指す」と言いつつ、自我まみれで本当にお恥ずかしいのですが、よい経験をしてると考えて
周りからの評価や見た目を気にしすぎるのではなく、大切なものを選び取っていき、精進していきます☆